介護されることが必ずしも本人にとって良いわけではない

息子さん夫婦が同じ屋敷にいて実母の介護をしている。
以前はお花の先生をしていていつもお弟子さんに囲まれて楽しく過ごしていたがある時、癌が発覚して手術をして徐々に治癒しているが長男夫婦は、お母さんに何もしないでください。と言っている。

転倒でもしたらまた入院騒ぎになり自分たちが大変になるとお母さんに話すと言う。

夫は、数年前死別したので大きな家に一人暮らしをしている。
家では話し相手もいないし食事は長男のお嫁さんが作って持ってきてくださる。
それはありがたいが食後の茶碗は自分で洗いたいので洗うとひどく息子が怒る。転倒したらどうするんだと。

自分の洗濯もできないのでただ家の中でTVを見ているだけで退屈で気が変になりそうと話す。

介護とは、介護者が出来ないところを周りで手つだって上げることで、介護される方の生活のすべてを取り上げることではないのでは。

長男は食事も家の掃除も何もしないでください。
入院でもしたら自分たちの生活が介護であわただしくなるのは困ると思うのでしょうがお母さんは顔にも笑顔がなく病気は治癒しても何の楽しみもやりがいもないと話す。
長男はお母さんの置かれた立場を察することもなく危ないことをとりあげようと一生懸命でそれが親孝行と思っている。

お母さんは転んでも入院しても自分の食べた茶碗を洗ったり・洗濯をしたり干したり自分の家の庭に出たりしたいと話す。

介護する側とされる側

カウンセラーに話をすることで自分らしさを保っている

介護をする方・される方の言い分を話し合うのは、とても難しい事です。
介護す方は、まだ仕事もしているので、お母さんが病気や転倒事故をおこさないでほしいと思っているので、家から外にも出ないでほしいと思ってる。
人間らしい生き方を考えるとそれでは幸せな気持ちにはなれないでしょう。
いくら話してもわかってもらえない。介護される方の気持ちはなってみなくては、実感がないのでしょう。と

お母さんも大変な時に見てもらえなくなるので自分の気持ちを伝えることはしていないと話す。

ディサービスに行っても自分から周りの方に話かけることもできないので言われるままの生活です。(以前は周りから先生と言われていた。)

家に帰ってもゆっくり話す相手もいないしどこに行ってもいないのです。
家でもディサービスでも言われるままでいる事が間違いないと思い感情が沈んだままになっている。

家族も週1日くらいお母さんの話し相手になってほしいと思うが難しいようです。介護をするような時は、ケアマネとか他人を交えてお互いの生活が無理なく楽しく過ごせるように話し合いを継続していくと良い方向になるでしょう。

長男・長男の妻・本人それぞれの立場の差があるのでそれを少しずつ話し合っていきたいところですが 力関係で長男の考えに従うことになってしまう。

介護は長男家族にも何年後かには自分の問題として降りかかるのですが気持ちよく話せないことが現実です。今は本人の思いを寄り添いながら聞いている。

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