遺産相続でのトラブルは他人事だとおもっていたら泥沼に発展
高齢の母がなくなり遺産相続の事で話し合いを始めるとすぐ喧嘩状態になる。姉たちと実家を継ぐ次男とで意見の違いが次々に出てきた。
今まで次男の嫁が長い間、母を介護していたので、何事もなく静かにしていたが亡くなると遺産について少しでも多くもらおうと食い違った意見が出てきて話し合うたびに話がこじれてしまう泥沼状態になってしまった。
次男は生前、母から仏壇とお墓と母屋を守るようにと言われていたので、子供たち全員の意見と思っていた。上が姉なので今までは、かわいがってもらっていたので、こんなにもめるとは予想だにしていなかったと話す。
病身の母から今は次男が一人息子なので、一緒に住みたいから考えてほしいと言われた。今まで言われたこともなかったので、即決できなかったが姉たちの中には、一緒に住んでいいと思っていた姉もいた。
しかし娘に世話になる気はないと母は断り息子に世話になりたいと願っていた。
次男は、結婚した時に母との同居の話もなかったので、姉の誰かが同居するものと軽く考えていた。と話す。母自身も他者にはこれからは子供の世話にならないようにと言っていたようだがいざ自分の身に降りかかってくると施設に入ることも介護サービスにも世話になりたくないことが本心のようだった。
母と同居するためには子供の転校、家のリフォームが必要と難問山積
次男は、母とは他府県で生活していた。子供の学校も地域が違うので、転校するようになる。2世帯になるには家もリフォームの必要が出てきた。
次男は、家族にも犠牲をしいてしまうことを考えて家族の賛成がもらえるかどうかと、同居の話を慎重に進めていた。 ある日 姉から電話で自分たちの親を粗末にできないから早く同居しろと、こわもてに言われたと話す。
母が元気な時、姉たちは毎日実家に来て子育てしていた。子供が大きくなっても時々実家に来ていたが母がだんだん何もできなくなっている状態になり離れていった。
姉たちは、次男の嫁が母屋に入ることを反対していたがそれは姉たちが自由にできないのが本心のようだと話す。
カウンセリング時に、姉たちの話が二転三転するので、精神的に憔悴して愚痴を聞いてもらい妻に言えないことも話せたので気分は楽になっていたと話す。
本人だけでは解決の糸口が見つからず弁護士にも相談しながら話を進めたが遺産分割協議書までたどり着けない。口頭では納得したはずが書面に段階になると印鑑を押さないで返されしまいまた話し合いとなる。弁護士も等分割を主張していたように見えたと話す。
カウンセリングで話を聞いていると亡き母の思いはどこかへ消えてしまいお金の話だけが強調されてしまっているとおもえた。
遺産相続に関するカウンセリングというのはカウンセリング当事者だけではなく相手がいるため、本人の意識改革で問題が解決しないことが多い。そのためとても気を使う相談の1つである。
今回もカウンセリング本人の見解と相手の見解がすれ違ってしまい平行線が続くことで本人が疲れていることが分かる。
次男曰く、姉たちは嫁いでいるので、実家も仏壇もお墓もなくなってもいいと思っていると話す。相続人が多くなるとこんなにも意見がまとまらないものかとも話す。以前友人たちから相続人が多い時は、母に遺言書を書いてもらう方がいいとアドバイスを受けていたが実の母には遺言書を書いてもらうように頼めなかった。
母が亡くなる前、亡くなった直後まで実の姉たちだから円満に話し合いで軽く解決すると思っていたと話す。
遺産相続に関するカウンセリングの難しさはお金の先に相手がいること
ある日、次男が神妙な面持ちで予約時間よりも少し早くにカウンセリングに来た、いわく、
姉たちから母の生前の年金まで遺産相続なのだからなぜ使ったと言われた。と話す。母の入院費用は母のお金から用立てていたのだがそれは使い込み扱いにされるらしいと言われたのだそう。カウンセリングをしていても本人がかなり追い込まれていることは容易にわかった。
母の了承のうえで支払っていたのにこれはどういうことかと怒りが出てきたと話す。次男は母から生活費も請求することなく家族の一員として過ごしていた。
母は亡くなる前、薬の処方箋の裏に皆さん仲良くするようにと走り書きをしていた。次男はその文字をみて感情を抑えることが出来なかったと話す。
達筆な母がよれよれの曲がった字でやっと書いたと思われるから、と。
そんな走り書きを姉たちに見せても母の思いをくみ取ろうとも思わない状況にも落胆したと話す。姉たちはどうしたいのかといえば母屋も人数分で割りたいだと思われる。母はなくなる間際にも、仏壇やお墓・母屋は残すようにと願っていた。子供たちにしっかり伝えておけば少し風当たりが少なかったかもしれない。
しかし、子供たち全員に良い母と思われたい気持ちもあり、姉たちが反対することは、思ってもいなかっただろう。と話す。
次男は、他家の相続争いは聞いていたが我が家にも来たのかと考えると病気になりそうだと話す。
でも病気になるわけもいかないと奮い立ち、家族を説得して実家に入り母の介護を10年も見てもらった妻に対して申し訳ない気持ちがいっぱいだとかたるが姉たちは母を十分に介護しなかったと言う。妻にも真実を話せないくらいバッシングがあったので、一人で悩んでいた。
そんな時にカウンセラーとつながっていたのでどんなに心強かったかと話す。
1年後、財産分割の話がまとまったが姉たちとの心の絆はズタズタのままである。次男が守っている仏壇にも参ることもなく、法事の時以外は、命日もお盆も近い地域に住んでいながら手を合わせに来ないと話す。
資産家ではなく争うような遺産でもないのに私たち子供や甥・姪までも心が通じなくなってしまうのは悲しいことだとしんみり話していた。
また長い時間をかけていつの日か姉たちとのきずなを以前のようにしたい、修復していきたいと思っている。と話す。
亡き父母は、戦後何もないところから子供たちを育て・教育してきたことを思い、残された子供たちがいがみ合うのは情けないことと思っているのではないかと引け目を感じている。妻と墓参に行くたびに、亡き父・母にお参りできたことを感謝しつつ一族の幸せを願い手を合わせてくると話す。
現在、兄弟間の仲が少しではあるが昔のようになってきた気がすると話す。
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