コロナウイルスがわたしたちにもたらしているもの
この記事を書いたのは2020年3月29日です。
コロナウイルスによって東京の小池都知事は先週末に外出自粛の要請をだしました。
東京にお住まいの方がスーパーに走り保存食である冷凍食品やカップラーメンを買いだめ、お米が買えないという事態が発生しています。
小池都知事のアナウンスをうけて神奈川でも自粛に関してアナウンスがでました。
現実なのか映画なのか困惑するような事態が発生しています。
マスクは変わらず薬局にもスーパーにもありません。
トイレットペーパーは在庫が安定してきました。
毎日、感染者の情報が数字で報道される日々です。
コロナウイスルは確かにとても怖いです。
しかしこういうときだからこそ私たちはこころを冷静にしなければならないと思います。
1970年代にオイルショックという石油が日本から枯渇するかもしれないという報道からトイレットペーパーがなくなるのではないかと深読みし、街中からトイレットペーパーがなくなったことありました。
あの時、私たちはある種の集団心理に取り込まれていたのだと思います。冷静に動けていればおそらくトイレットペーパーはなくならなかったのかもしれません。
いま、あの時と同じことがおこっています。
今回はトイレットペーパーではなくマスクです。
あの当時はテレビとラジオしかありませんでした。テレビでスーパーに並んで駆け込む主婦の姿を観て恐怖となり自らもスーパーに並ばなければならないかのような錯覚をうけました。今、また同じことが怒っていると感じます。
コロナウイルスはたしかに恐ろしいウイルスです。
高齢者や疾患者がかかれば命を落としてしまうこともあるウイスルです。それがインフルエンザのように世界中で大流行しているのです。
でも、こうしたウイルスは有史以来はじめてではありません。スペイン風邪、ペストとわたしたち人類はそのときごとにウイルスと闘ってきました。
そうした経験から今回もきっとコロナウイスルを克服することができると信じています
だからすこしだけ考えてみましょう。
いつの時代でも怖いのはウイルスではありません、集団心理にとりこまれてしまう自分のこころです。
コロナウイスルで本当に怖いのは集団心理と心の疲れ
みんながやってるから自分もやらなければ置いていかれてしまうという同調心理に縛られるこころが一番怖いのです。
集団心理は一瞬の安心感を得ることはできますが本来の自分のやりたいことを抑え込んでいるので一定期間が経過すると反動がやってきます。それが表れたのが先週の3連休ではないかと思います。
先週の3連休に公園で花見をする若者の姿がテレビで流れました。深夜の駅で歌を唄い、集団でなわとびをするシーンもテレビに流れました。
県道は朝から晩まで渋滞しておおくの家族などが旅行にでかけました。お出かけした人によるとこれまでにないほどの渋滞だったと言っていました。
これは若者だからということではなく、集団心理によって無意識下に抑圧されたこころが反動した結果だと考えています。
この記事を書いている現時点ではおかしなニュースは飛び込んできていません。
しかし長期間こうした状況がつづければ私たちが思いもしないような出来事がニュースで報道されるかもしれません。
ウイルスの囲い込みが長期化し、コロナウイルスの影響がテレビの中だけではなくなってしまったことをみんな肌で感じ始めたのが3月の中旬からだと思います。
電車の中でマスクをする、しないで言い争いがおこったり、コロナを移してくる!と発言した名古屋の男性に対してコメンテーターが攻撃的な反応をし始めたのもこのくらいの時期からです。
この状況が長く続くことは決して良いことではありません。それはコロナウイルスのことだけではなく、私たちの心にとってです。
病は気から。
ということばがあります。それは決して迷信ではないと思います。おばあちゃんの知恵袋と同様に昔の人が作ったことばにはかならず意味があるのです。
気持ちが充実していれば悪い病気には掛からない
ということを先人は知っていたのかもしれません。当たり前にことかもしれませんが今だからこそ、当たり前のことを書いてみようと思います。
心が抑圧されれば気持ちが下がってしまいます。それは無意識にストレスとして心の中にため込まれます。
一定以上のストレスがたまれば心は反動しようとします。
もしも心が反発しようとしたらそれを受け止めることが大切です。
私たちには知識と経験があります。
感情の起伏が激しいと感じたらそれはどこかに心の抑圧があるのかもしれません。
感情に任せて動くのではなく、すこしだけ立ち止まって、いまやるべきことを考えてみる時間をとってください。
それはコロナウイルスに立ち向かう人類の大きな武器になると思っています。