とまり木をつくるきっかけ
いまの時代は24時間があたりまえになり日々、なにかに緊張して過ごし疲れが取れないまま次の日がきてしまうことが多くなっています。
私はそのような方に、昭和レトロのわが家を疲れたあなたの羽根を休める場所として使って欲しいと思い「とまり木」と名ずけました。
世の中のうごきがとても早くなり疲れをいやす時間をとることがむずかしくなってしまいました。それでも何かに没頭できるものがある人は幸せです。
いまの世の中、心を平穏に保つことがとても難しくなってしまいました。
とまり木(傾聴・臨床心理カンセリング)では、心に悩みを抱えている一人一人にゆっくり向き合い悩みをていねいにカウンセリングしながら、あなたの心を支えていきます。
悩みを耐えていると心のバランスが崩れ身体に思いもよらない症状が出始めます。
しかし「悩みごと」を解決することで、元気な状態に回復し見違えるほどに心が軽くなり、新しい生活の一歩を踏み出す元気が生まれます。とまり木は今までの経験と歳の甲でやさしく寄り添いながらあなたが自信をもって人生を過ごせるようにサポートしていきます。
わたしは心理カウンセラーとして10年以上にわたりいろんな人に会いました。
いろんな悩みを訊きました。人の悩みは本質的に同じであると知りました。
10年のあいだに日本の心理カウンセリングはおおきく変化しました。
90年代以前、「心の疲れ」は「甘え」「いいわけ」としてかたづけられていました。
当時は心の疲れを「ノイローゼ」という1つのことばで表現していたのです。当時はそういう時代だったのです。ノイローゼになるのは弱い人間、そんな時代だったのです。
それから30年たった今、心の疲れにもたくさんの種類があることがわかり、心の悩みは人間の弱さではなく誰にでもおこることとして認知されるようになりました。
それにともない精神科は心療内科とことばを変え、心理カウンセリングもたくさんの種類がでてきました。心の病気に関する病名もものすごく増えました。
しかしわたしは今のこうした流れにすこしだけ違和感を感じたのです。
心の疲れというのは疲れだけに目を向ければよいのだろうか?
心の疲れはたしかに存在します。しかしそれはいったいどこからやってくるのでしょうか?
そしてどこへむかうのでしょうか?
「心の疲れ」だけを切り取ることなどできるのでしょうか?
「捨ててはいけないもの」までも捨ててしまうことはないのでしょうか?
そう考えたときに1つの想いが私の心の中に浮かびました。
心理カウンセリング希望者が気軽にあつまれるいやしの場
心の疲れは日々の生活のちょっとしたことが積み重なって大きくなってしまった結果、心がそれを処理出来なくなってしまったため表面化したものだと私は思っています。
人間の心は私たちが思っているよりも強く、自浄作用をもっています。
つかれたら寝る
ストレスがたまったらカラオケでおもいっきり歌う
人によりさまざまですが心にマイナスの作用がはたらくと 心はそれをもとに戻すために様々な欲求をしてきます。それが「ストレス発散」なのです。
わたしは心の疲れをもった人が日々のしがらみから抜け気軽にあつまったり、おしゃべりしたり、ごはんをたべたりすることができる環境を作りたくなったのです。
疲れている人のおおくは友達に連絡するのすらも面倒になってしまうことを知っているからです。
だから、
「お友達とご飯をたべてくれば?」
ということはいいません。
それが時として心の疲れになってしまうことも知っているからです。
気兼ねせずにということばは必ずしも知り合いと遊ぶということと同意ではないのです。
そこで とまり木で1つの試みをスタートさせることにしました。それが「いやしの場」というグループカウンセリングです。本当の意味でひと休みできる環境をつくることで心の疲れをいやそうという目的です。
わたしが経験してきた心理カウンセリングの現場で感じたことをゆっくりと長い時間をかけてまとめ具現化させたのが「いやしの場」です。
川崎・横浜「いやしの場」にこめた二つ願い
今、強く思うことは人と人の絆が少なくなったことです。道を歩いていてもスマホを見ていたり・電車の中は若者の大半がスマホを見ています。
これでいいのでしょうか?
私はいやしの場に二つの願いをこめました。
一つは真の仲間ずくり
もっと隣人とかかわりを持って、声掛け合って過ごしたいものと思います。
ひと休みワークを考え出したのは、真の友達作りをしたいと思ったからです。
真の友とは、喜び・悲しみ・感謝の気持ちを共に持てることではないでしょうか。
二つ目、いやしの場の運営は自分たちの参加費で
いやしの場の資金は自分たちが持ちよって、活動したいと思います。助成金等を当てにしないでやりたいと思います。
それでこそ集まった方々の心のこもったいやしの場になっていくと思うのです。
使えるものは何でも使うという合理的な考えでなく、手の届く範囲内で自分でできることをやる・支えあいの精神が結果的にいやしの場を大きく育ててくれると思っています。
高齢者で介護保険サービスを利用できる方はそれなりに国から介護の場所が与えられていますが、自立できる方は意外に一人で寂しく過ごしています。
立ち上がりましょう。
国の助けでなく自分たちの力でより良いいこいの場を作りたいのです。
今こそ心身の自立が必要と思います。みんなで楽しく支え合いましょう。
川崎や横浜ではない方のご参加が増えてきました
始めた当初は川崎や横浜から来られる方が多かったのですが現在では、東京からおこし頂く方も増えてきました。遠方からお時間をかけてきていただけるまでになってきました。
個人規模の小さな心理カウンセリングですからどうしても地域に依存してしまいます。
私としては手の中に入る範囲でなにか助けることが出来ないかと考えていたためカウンセリングを開いている横浜の鶴見を中心とした活動になると思っていました。
ところがホームページを開き少しづつ皆さんに認知されるようになったこともあり横浜でも青葉区や川崎の麻生区、新百合ヶ丘といった遠方からのご予約も増えてきました。中には東京の港区や世田谷区といった地域からのご予約も増えてきました。
ほんの少しづつでもカウンセリングとして行っているいやしの場がこうして広がりを見せていることにうれしさを感じています。
あたらしい理論とこれまでに培ったノウハウを取り入れつついやしの場を練り上げていきたいと思います。
心理カウンセリングのプログラム構成や次回の開催日程等をはこちらからご確認いただけます。
適度な距離感の重要性こそがとまり木のカウンセリング
とまり木であたらしく試みている「いやしの場」は心理カウンセリングのあたらしいアプローチです。グループカウンセリングを基本に「ストレスを感じない適度な距離感」で心の疲れをとるのがいやしの場の目的です。
これまでの心理カウンセリングの経験から友達や会社関係、家族間の近すぎる距離感というのは時にストレスに直結しやすいことを知っています。
疲れているときに友人といっしょにいることでさらにストレスをかかえてしまうことがあります。しかし疲れているからと参加しなければ付き合いが悪いと噂を立てられてしまうかもしれません。
また何も考えずに感情的な発言をすれば友人は去ってしまいますし、自分のことを悪くいわれてしまうかもしれません。
また心の中でそう考えることが新たなストレスになってしまいます。
会社の同僚から休みの日に外出をさそわれたことにおおきなストレスを感じる方もいます。家族の何気ない一言にいら立ちを感じる方もいます。
それらはすべて「じぶんの生活の中でにげることができない心の距離感から発生した危険信号」なのです。
だから疲れてしまうのです。こちらで選択できるようにみえてじつは選択できない「強制された距離感」が原因なのです。
とまり木ではそうした「にげられない心の距離感」ではなく「選択できる心の距離感」こそが心の疲れをいやす大切なキーであると考えています。
人間はコミュニケーションの動物といわれるように1人でずっと生きていくことはできません。かならず誰かと寄り添う動物なのです。
しかし、生活環境が複雑化し世の中のスピードが早くなり選択の自由が少なくなってしまった結果、寄り添うことすらがストレスの要因になってしまいました。
本来であれば心の疲れをいやすための存在が逆にストレスを生む可能性になってしまったのです。
とまり木では「選択できる心の距離感」を大切にしています。
ここでは同じ職場の人もいません、気を使う人や友達もいません。
適度な距離感がそこにはあるのです。
この適度な距離感が心理カウンセリングに大きな影響を与えると考え
「いやしの場」を作ったのです。